自分を変えていくプロセス
自分を変えていくプロセス
私は40歳すぎて、「本当の意味で自分を生きる生き方がしたい」と思うようになりました。
今まで自分を生きていると思っていた人生は、無意識に古いパターンを続けていた状態だった。
「そこから抜けないと、それより先へは行けない」と、強く感じたんです。
「自分の人生は、自分で望むように創っていける」
「何を選ぶかも、自分の自由である」
「自由とは、自分次第であるということ」
当時、このような言葉が突き刺さった。
ちょっと痛い言葉ではあるけど、「本当はわたしもそうありたい」と、深いところで求めているのがわかったのです。
怖いし、自信もないから、私には関係ないことと思いたい。
でも、言葉が突き刺さってくる。
私は、自分のその本心を拾いあげることを選びました。
そして、1つ1つ、ゆっくりゆっくり、自分の中の問題をクリアにしていきました。
いつまでも変われないままだった自分を、本気で変えていこうというプロセスです。
そのプロセスは、一人ひとり違いますが、私の経験のどこか一部でも、あなたのお役に立てるかもしれません。
参考になれば光栄です。
絶望感を味わう体験
古いパターンを繰り返している自分に、何度も気づくタイミングがありました。
そのたびに、やめていこうと決め、努力もしてきている。
それなのに、古いパターンをまた繰り返してしまう自分が出てくるのです。
私の場合は、家族にイライラ、感情的になる、嫉妬、猜疑心、自責、素直になれない・・・など。
生活自体は幸せなはずなのに、私の心はどこか満たされず、なんか人生も楽しくない。
で、ときどき、ふと思うのです。
この歳まで、自分は何をしてきたのだろう
いまだに成長できてない自分は欠落しているのかな
自分はこんな感じでずっと生きていくのかな、と。
40歳すぎたあるとき、あるできごとをきっかけに、そんな自分に絶望したのです。
生きている価値がないのではないか。
死にたいと感じるほど。←自殺願望まではないのですけどねWW
けれど、私たちは絶望してはじめて、本気になれる。
絶望感とは、終わりではなくて、大切な火種なんだと思う。
古いパターンを終わりにしてゆくプロセス
明確な区切りはないのですが、振り返ると、大きく2つのフェーズがありました。
フェーズ1 自己を確立する。自分を一度バラバラにして、組み立て直す。
フェーズ2 「自分の人生は、自分で望むように創っていける」の実践が始まる。
フェーズ1の自分の内面の土台が確立するにつれ、それは自分がとる行動にも反映されるようになっていき、新しい生き方が自ずと始っていきました。
グラデーションで、フェーズ2も始まっていった感じ。
勇気の力
本気で変えていきたいと思っているのに、繰り返し出てきてしまう自分のイヤなパターンを終わらせていのに役立ったものは、
●「変わりたい」という強い思い
●今までのパターンではなく、自分が望むほうの感情・思考・行動を選択しつづけること(古いパターンをつかまないこと)
●そして一番は、自分の中に「勇気」を見つけること
これによって、諦めない原動力を絶やさずに済み、今の、ネガティブ思考に苦しまない自分がいます。
いずれも、自分にしかできないことだと思うのです。
明け渡し
自分の気持ちや行動をコントロールしようとするやり方では、パターンを終わらせることはできなかった。
たとえば、◯◯できるようになろう、◯◯しないように気を付けよう、というやり方のことです。
自分のコンディションがよければうまいくけれど、コンディションが悪ければいつものイヤなパターンが出てきてしまうから。
頭や心をコントロールすることよりも、明け渡すことで、新しい行動ができる余白が生まれるのです。
私は、明け渡すことにたくさん助けられた。
健全な自己対話
日常生活での、他者との関わり、自分の身に起こるできごとに悩まされるときには、さまざまな思いや考え、感情が、後から後から湧き起こっている。
そんなときに、湧き起こるままに自分と対話しても、出口のわからない思考の森の中をグルグルとさまようだけで終わります。
もしくは、思考の森が整理されただけで終わります。
そっちではなく、悩みの根っこへと対話で堀り下げていけると、悩みは解消されてゆく。
これが健全な自己対話だったのだな、と実感しました。
私がずっと自分と対話しているつもりになっていたものは、単なるグルグル思考でした。
思考は自由
どんなことを思い、考えるのかは、完全に自分の自由。
思考は自由であるからこそ、大事にするとよいことがある。
それは、手綱は自分が握っていること。
そして、考えている思考と、考えさせられている思考に気づくこと。
ネガティブ思考や考えすぎに、苦しくなっているのだとしたら、自分以外の誰かに手綱を明け渡していないだろうか。
それは、感じるモードで確認していける。
本音を拾う
自分のイヤなパターンが出てきたことに気づいたら、自分に質問するようにしていました。
自分の本心を拾えているか?と。
本心かどうかは、体のサインで見分けることができます。
体のサインにはいろいろありますが、私の場合は、心臓や肺の動き、体のこわばりなどをよく使います。
とことん、自分の本心を拾い続けていきました。
はじめは面倒くさいという思いもありましたが、そこを面倒くさがっていては、「自分の人生を楽しむこと」は一生できないままだったかもしれません。
乗り越えないといけないことなど何もなかった
自分が抱えているものが問題だとかダメなことだったのではなく、それさえも「生きていること」だったんだと、今なら思えます。
それらを排除したり巻き込まれないようにするのではなく、ともにあるだけでよかったのです。