プロフィール

はじめまして。
ホームページにお越しくださいまして、誠にありがとうございます。


名前:清水綾香(しみず・あやか)

Spiral Works主宰
(スパイラル・ワークス)

この事業を始めた私の願い

自己探求が大好き

私は40歳くらいまで、自分のことを好きと思えませんでした。
自分の性格に困っていたからです。

周りからはうまく立ち回れているように見られますが、私の内面では混乱が起きていることも多く、会社員時代はとくに、うまく立ち回れるよう常に頑張っていました。

自分の足りないところを見つめ、目標を立てては頑張っていて、そんな自分を「しっかり者だ」と思っていました。
仕事に必要な専門知識やスキル、自分磨きのための自己啓発本、エニアグラム、コミュニケーションスキルの講座など、自分がその時どきに「これだ!」と思うものと出会い、学んではヒントや答えを得ようとしたり、手相、数秘、占星術などのセッションを受けて自分を知ろうとしたり、興味関心の向く方へたくさん探求しました。

学ぶことは好きなので楽しかったけれど、それでもやっぱり自分のダメなところばかりが目について、中間管理職も経験した30代半ば以降、自己肯定感は下がる一方だったんです。

気が強いかと思えば、落ち込みやすい
寂しがり屋のくせに、一人が好き
周りのみんなに馴染めない自分
みんなの話や、やっていることを、自分は楽しいと感じられない
みんなのように器用にできない自分
コミュニケーションの苦手意識など・・・

自分の複雑な性格に、疲れることもありました。

自分の性格、パートナー、子育て、人間関係、仕事やキャリア、お金、将来の不安・・・と、あらゆることに「悩み」が付きものでした。
一人反省会しては落ち込むこともしばしばあって、自分は何かが欠落しているのだと思っていました。

お金も時間も費やしたけれど、どれを学んでもしっくりくる答えにたどり着かない。
そして、どれも結局、本質的には同じことを言っていることに気づきます。

それもそのはず。
真理は1つであり、自分にとっての答えは、「私の中」にあるからです。
そのことがわかるまで、40年という年月を費やしました。

自分の中ではなく、自分の外側に答えがあるのだと思っていたから、努力やお金を費やしても、ちっとも楽になれなかったのです。

病気の予防・健康な体の探求

私は、病気の予防や健康と栄養素の関わりに興味を持ち、高校生の時の進路決定で、管理栄養士の道を選びました。
管理栄養士免許取得後は、念願の医療分野での管理栄養士を10年あまりしていました。

当然、自分の健康管理にも関心があり、さまざまな食事法を実践した経験があります。
たとえば、日本では、「疲れやすい」に対しては、「クエン酸やビタミンB1を摂りましょう」みたいなアドバイスでしたが、私は、副腎疲労症候群の視点から、糖質摂取コントロール、ミネラルの補充、たんぱく質の補充など、一般的な管理栄養士とは、ちょっと違う視点を持つことができました。
今では、あまり珍しい視点でもなくなりましたけれど。

それで、私の自己肯定感がmax低かったときは、体にも症状が出てました。

鼻炎のようなアレルギー
頭痛 胃もたれ 腸内環境の悪化
生理痛 肩こり 首の痛み
動悸 慢性疲労など

知識のブラッシュアップを怠ることなく、実際に配慮した食生活をずっと送っていたにも関わらずです。

つまり、最新の情報を知っているかどうかや「何を食べ、何を食べないか」も大切だけど、それ以前に、生きづらさ・苦しさ(自己否定)を感じている状態が、一番の不健康だったということです。
生きづらさや苦しさを感じたまま、どんなに健康に良いことを行なっても、健康的に生きていくことはできないのだと理解しました。

人間の心(精神構造)の探求

病気の予防・健康な体の探求の末、心の影響はとても大きいということがわかった私は、今度は、人間の心の探求にも興味を持ちました。
この時点で、私の人生の探求は結構、本質的になっていたので、一般的な心理学では満足できず、インテグレイテッド心理学というものに出会います。

自分の本来の性質を生きれていないと、生きていて「苦しさ」が出ます。
なぜなら、自分の本来の性質を生きれていない状態は、無意識だとしても本来の自分の性質を否定して生きている状態だからです。
実際に、自分の内面をていねいに観察してみれば明らかですが、自己否定がもっとも苦しみを生みます

私の場合は、自分の真意がうまく伝わっている感じがしない、考えすぎてしまう、悪気なく人を傷つけてしまう、臨機応変な行動が苦手など、挙げればキリがないのですが、自分にも人にも疲れてしまうことがよくありました。
人から指摘されることも多かったので、「私はできてない人間なんだ」としか思えませんでした。

40歳くらいの時に、自分にはHSP気質がありそうだと知ります。
HSPの概念が世に出たことで、「私がおかしかったわけではないのか」という新しい認知のきっかけとなり、救われました。

ただ当時は、「HSP=生きづらい人」という言われ方をしていて、それに対してはちょっと違和感でした。
なぜなら、図星ではあるけれど、でもHSPの性質を持ったのが「私」のデフォルトであり、それを「イコール生きづらい」と言われているようで、「私はずっと生きづらいというレッテルが貼られた人生を送る人ということなのか?そんなはずはない」と疑問に感じたからです。
(これは、HSPや生きづらい人と言われることについての反感ではなく、「私は私として生きていく」というところに主軸を置いて私は生きていたいな、という思いの表れです)

自分への探求を続けていく中で、自分の中に発達性トラウマがあることにも気づいていき、トラウマエネルギーの解放を本気で行ないました。
ポリヴェーガル理論に基づいた体のワークなどを行なう、安全に根本的に解消していく方法を試行錯誤しました。

トラウマエネルギーも解放が進むにつれ、「これが自分だ」と思っていた自分は、「自分を制限する思い」によって押し込められた自分だったとわかりました。
なぜなら、生きづらさが消えていったり、解消できない悩みに苦しんでいたのが楽になって、どんどん軽くなっていったからです。

つまり、HSPの気質そのものが私を苦しめていたのではなく、発達性トラウマや、古くなった思い込みによって、自分の本来の性質が押し込められていたから、生きづらく、苦しかったのです。

私たち人間は、自分の心に創り上げたそれぞれの世界を生きているのだとわかりました。
人間の精神構造とは、そのようになっています。

生まれたときのままのニュートラルな心ではなく、過去の経験からいろいろなことを学習し、中には心の傷や、自分の本来の性質を押し込めるような思い込みも知らないうちにこびりついた心で、今を生きています。

心の傷や思い込みは潜在意識の奥深くに埋まっていて、トラウマエネルギーは体の中に閉じ込められたままになっているので、ほとんど自動的に、今の自分の心と行動に24時間365日影響し続けます。
そうやって今の現実を生きているのだと気づけたのは、とても大きな成果でした。

私の生い立ちと変遷

トラウマは普通の家庭でも発生する

個性強めの家族ですが、いたって普通の家庭に生まれました。
いじめにも合ったけど普通に育ち、行きたい大学を出て、なりたい職業に就き、幸せな結婚も子育ても経験して、一見すると順調な人生です。
楽しいこともたくさんあり、充実感もありました。
父親との確執は物心ついたときからあり、よその家族がうらやましく思うこともありましたが、特別、心に傷を負った自覚はなく大人になりました。

家族の中、学校の中、社会の中でもまれ、ちゃんとした大人になりたくて、ずっと頑張り続ける20代・30代でした。
30代前半仕事で中間管理職になりうつっぽくなったり、30後半子育てが始まって育児ノイローゼ気味になり、夫との口論が絶えなくて、もうそんな自分がイヤになりました。

生きづらさや苦しさは終わらせていくことができる

私には、HSPやトラウマについての知識がなかったため、自分の内側で本当は何が起きているのか気づいておらず、自分で自分の心に向き合っているつもりが、まったく見当違いなことをしつづけていました。
私が「こうありたい」と目指していた自分は、本来の私の性質や才能を活かしたものではなく、親や友達、職場の人など、周囲の人間関係から学び、作り上げた「理想の自分像」でした。
あるがままの自分を生きてなかったために、苦しくなっていたわけです。

私が変わり始めたのは、「自分にとっての心地よさ」の徹底追及、HSP気質の正しい理解、自分を縛っている「無意識の制限」を外すこと、トラウマ・エネルギーの解放に、本気で取り組み始めてからでした。
40過ぎてからのことです。
5年くらい学びと実践の試行錯誤をつづけ、生きづらさを抱えたまま、自分がイヤになって苦しむ生き方を、抜け出ることができました。

生きづらさ・苦しさは「あなたの中にアンバランスがあるよ」「個性を妨げてるものがあるよ」のサインでした。
自分の本来の個性で生きてくほうが、いろいろなことがうまくいくようになりました。
自分の個性を「ただ愛おしく思える」って、それだけで幸せなことだなとも感じています。

生まれた場所
1977年3月11日 愛知県で生まれ、神奈川県で育つ
父母妹の4人家族/長女

私のプライベート
「家族が仲良くなる離婚」経験者
一児の母ですが通いママ(親権はパパ)

好きな季節
秋から初冬にかけて

好きな色
ヴィンテージピンク  グリーン

好きな時間
心身の安らぎを感じる人やモノと過ごす時間
ひとりの時間
心地よい風に当たっているとき
その時やりたいことに没頭している時間
(縫い物・編み物・料理・アイデアの言語化・妄想)

保有国家資格
1999年 管理栄養士免許

受講歴
PBM®(創始者 小笠原和葉さん)
2016年11月~ ベーシック講座 全3回
2017年4月~7月 アドバンス講座 全6回

ハーバルタロット講座(安珠さん)
基礎
実践
応用

INEH認定エソテリック・ヒーリング(秘教治療)
https://www.esoterichealing.jp/esoterichealing
クロニック・スチューデンツ主催
2018年3月~2019年11月 基礎講座(2年間で全4回×5日間)
2020年3月 アドバンス講座 テーマ「自己愛」 (3日間)
2020年11月 アドバンス講座 テーマ「ディーバ界」

トートタロット講座(サイキックリーダー モルフォさん)
2020年8月・9月 トートタロット リーディング講座基礎
2021年5月 トートタロット リーディング講座応用
2021年6月~12月 トートタロット・クリエイション講座

エナジーワーク(透視家 ヒロさん&達二さん)
入門
基礎
年間コース

2022年 インテグレイテッド心理学講座(溝口あゆかさん)
2022年 気づきの問いかけ講座(溝口あゆかさん)
2022年~2023年2月 気づきの問いかけアドバイザー講座(溝口あゆかさん)


Spirarl Works
「わたし」から自由になる生き方研究家 清水綾香

  
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私のバックグランド(本編)

ここより下は、私の経歴をもっと知ってみたい方へ向けて書いています。
長いですけれど、よかったら私の人生をのぞいてみてくださいね。

10代、20代のころの私

たとえば、
●喜怒哀楽がはっきりしていて、感情のコントロールが難しいと感じていた。
●「考えすぎ」「ひと言多い」「思ったことをすぐ口に出すもんじゃない」と注意されることがよくあったけど、直し方がわからなくて悩んだ。
●父親と何気ない日常会話を楽しんだ記憶がない。何かあるたびにお互い感情的な口論になってしまうのは、なぜなんだろうと悲しかった。
●彼氏に素直になれず、あまのじゃくな行動をとってしまう。私の思いに気づいてもらえないと、落ち込むか怒り出す。
●彼氏なのに、彼のすごいところを見つけると自分と比較して、欠落している自分に落ち込んでいた。
●自分の悪気のない言動で人を傷つけたり、不快にさせてたり、誤解されたりするので、人とのコミュニケーションに苦手意識を持つようになっていった。
●親友と呼べる友達もいたけれど、一人でいることを好むところがあり、人と関わることに少々わずらわしさを感じる自分はどこかおかしいと思っていた。
など

恋愛の悩みは、父親との関係で満たすことのできなかったものを、無意識に彼氏に投影していたからです。
当時は自覚できていなかったけど。
彼と比較して自分に落ち込んでいたのは、私の根底に「未完全な私」がいたからです。
人と比べて自分を評価しては、自分を苦しめていましたね。

1999年3月
東京農業大学農学部栄養学科管理栄養士専攻を卒業
管理栄養士免許の取得

1999年4月~2011年8月(約12年間)
社会人スタート 管理栄養士の私
医療機関にて、のべ9,000人の生活習慣病患者さんの食事相談に従事。
念願の職業に就きやりがいに満ちていたが、食で癒すことの限界も感じていった。
後半の3年くらいは、中間管理職も経験。

30代前半の私

社会人になってからは、人間関係の悩みが複雑になりました。

たとえば、
●社会人になると、自分の言動がそのまま自分の印象、評価、成果とも関わってくるので、緊張感とコミュニケーションへの苦手意識が増した。
●仕事でのコミュニケーションスキルに役立てるため勉強したカウンセリング、コーチング、エニアグラムなどを、日常にも活かすようにしたけれど、苦手意識は克服できなかった。
●人間関係の苦い経験から、原因は「自分の未熟さのせいだ」と思っていた。
●自分に対しての理想が高く熱意もあったけれど、達成するためには欠点や弱点を克服しなければいけないと思っていた。
●自分の内面を変える系の自己啓発本をよく読んでいたけれど、自信が持てる自分にはなれなかった。
●自分の感覚が世間の常識とズレていることがよくあり、「自分が変なんだ」「自分には何かが欠落しているんだ」と思うようになった。
●人に相談しても、その時はすっきりするけれど、本当の意味で心が晴れることはなかった。
●人のアドバイスをもとに挑戦してみても事態の改善にはならず、できない自分にかえって落ち込み逆効果のことも多かった。
など

表の顔の私は「しっかり者」「ちゃんとできる人」といった理想の自分像であろうとしていました。
自分に欠けているものを克服しようとするのは当然で、それこそが「人間として成長することだ」と思っていました。
でも、このやり方だから苦しくなっていたんですww
自分ではない誰かになろうとしていたわけだから。

悩んだり、後悔したり、反省したり、心や頭が忙しい自分がイヤでした。
もっと穏やかに生きていきたいのに、でもやり方がわからない。

このころ、吹き出物、胃腸の不調、生理痛、生理不順、頭痛、鼻のムズムズなどの不定愁訴が、年々、少しずつひどくなっていることに気づきます。

30代半ばで妊娠・出産。
産後、健康診断の結果は良いのに心身ともに疲れやすく、副腎疲労症候群(ストレス性のアレルギー様症状、うつっぽさなど)を経験。
体は、こうしてサインを出していたんですよね。

出産後(30代後半)の私
 自己変容へ向かう扉を開いた?

自分のペースで生きていくことを考え始め、会社は退職しました。
子どもがかわいくて幸福感を味わう一方で、子育ての実務そのものを楽しめていない自分に落ち込むこともありました。

子育てスタートはちょうど、311の震災後。
わからないことだらけの子育てに加え、放射能汚染との関わり方を模索する不安も、重くのしかかっていたせいもありました。

どのような不安であっても、それは自分の内面の【投影】が関係しています。
今の私のような理解が当時はなかったため、不安な気持ちに完全に巻き込まれたからですね。

2016年11月~2017年7月
PBM®(創始者 小笠原和葉さん) ベーシック講座・アドバンス講座修了 

「心と体のつながり」という言葉に心が惹きつけられて受講。
体と意識・体を感じる・心と神経系といった、まったく新しい「体との関わり方」を教わり、目からうろこがボロボロ落ちた。
管理栄養士の私は、体と言えば「内臓の機能」という切り口からしか関わったことがなかったから。
この新しい関わり方も、病気や健康と密接な関わりがあると直感した。
「健康のための正しい食生活」という管理栄養士視点が大きく揺さぶられ、自分の食生活も選び方が変化するきっかけになった。

「本当にリラックスした状態」「呼吸の質」「感じるモード」を体で学べたことが、私の視野や意識をこの先どんどん広げていく上ですごく役立つ武器になった。
私が自己変容へ向かう、最初の扉を開けてくれたと言ってもいいくらい。

PBM®の受講が始まったあたりから、「自分が本当はやりたいと思っていること」に気づくようになりました。
すると、学びたいものも変化しました。
いわゆる、スピリチュアルと呼ばれるようなものを自分も学んでみたいという思いが出てきたんですね。
手相やタロットをみてもらうことは好きだったけど、自分が学んだり、提供する側になることにはタブー意識を持っていたので、自己開示は勇気のいることでした。

ハーバルタロット講座(安珠さん)、数秘術(旭たか子さん)、占星術(ブログ・書籍)、チャクラやエネルギーフィールドの勉強会(セレネさん)
この後、エソテリック・ヒーリング講座受講へとつづきます。

40代前半の私
 人生の謎が解けていった時期

PBM®の受講を境に「体を感じる」を私の人生に招き入れると、「自分らしく生きる」探求が自然と深まっていきました。
「自分らしさとは何だろう?」の問いから始まり、「私とは?」という問いへと繋がっていきました。

「体の健康には心も影響している」ことへ関心が高まって、心の作用について真実を知りたくて、エネルギー・ヒーリング講座を受講することにしました。
ここで一般的な心理学の勉強へ心が向かわなかったところが、なんとも私らしいww

ヒーリング業界、いろんな講座がありますが、私が求める「怪しいところじゃない」にぴったりな講座に出会えました。
「怪しい」というのは私の勝手なイメージなので言葉が過ぎますが、「ヒーリングで意識を書き換えちゃう」という類のヒーリングには違和感があったのです。

何を持って「怪しくない」とするのか、当時はわかっていませんでしたが、スピリチュアリティについて学んでみて、「真理に基づいた教え方をしている」ことが、私にとって重要な基準です。

2018年3月~2019年11月
INEH認定 エソテリック・ヒーリング(秘教治療)基礎講座修了
ヒーリング・ファシリテーターとなる

2020年3月
INEH認定 エソテリック・ヒーリング(秘教治療)アドバンス講座受講 テーマ「自己愛」

2021年11月
INEH認定 エソテリック・ヒーリング(秘教治療)アドバンス講座受講 テーマ「ディーバ界」

講座の中で行なうヒーリングの実技で、私自身もヒーリングエネルギーを受け取ることができ、私の内側の変化を優しく後押ししてもらいました。
座学では真理について教わり、自分なりに日常に取り入れるようにしたら、思考ガチガチの生き方をシフトしていくのに役立ちました。
また、自我(エゴ)について知ることになり、心理学用語の自我(エゴ)とはまったく違うことを知ります。

ここから私は、自我の探求を始めるわけですが、自分の【投影】に気づいてゆく自分との対話(自己対話)の始まりでもありました。
「感じるモード」を使えるようになっていた私は、自分の真実(潜在意識の声)にも気づいていけるようになりました。

おかげで、自己否定のクセや、人間関係をこじらせる行動パターンをなぜ私がしてしまうのか、謎が解けていきました。
というのも、私はもともと「しくみ」を見出すのが得意で(笑)
HSPあるあるかもしれないのですが。

人間の精神のしくみがわかってきたので、自分で自分の心を解体作業して、悩みの原因を突き止めることができるようになりました。
ヒーリングの技術を活かして、自分が苦しんでいた感情や思いを手放していくこともできました。

自分自身の破壊と再生

自分との対話が深まっていった先に、ちょっと重たく、くすんだものの存在が、チラッと見えたことに気づいてしまいました。
それは、ずっと目を背けてきた見たくない自分の闇の部分でした。

それは「自分のことを心の底から満足しているわけではない感覚」。
この時の私は、好きな人と結婚して、かわいい娘が生まれ、何不自由ない生活を送ることができて、どこから見ても幸せなはずでした。

気づいてないフリができないくらい、自分の感覚に素直に従って生きるという意志が強固で、さらに、重たいものの正体を突き止めたい好奇心と勇敢さも加わり、自己対話をして少しずつ曝け出されてきました。

その詳細は割愛しますが、「今まで生きていたのは自分のようでいて自分100%ではなかった。これからは自分100%で生きていこう」というところに着地しました。
今、自分の人生を生きることを、1からトライ&エラーしています。

実生活では、13年間、妻をさせていただいた夫との婚姻関係を解消し、夫に親権をお願いして、娘とも別々に暮らしています。
娘が9歳のときです。
離婚=別れ・家族の崩壊、という世間の通念には囚われず、自分の感覚を一番に大切にして信頼して生きていく、という思いに従った決断です。
今は、週2~3で通いママをしています。
前夫とも家族としての連携が気持ちよく取れるようになりました。

自分も苦しくならずに、家族3人、仲良く過ごすことができています。
お互いの自由を認め合い、自分にも自由を与え、心が通ったコミュニケーションが取れるのが嬉しいです。
娘との別居が寂しく感じたり、離婚への後悔の思いも出てきますけど、それを含めて「今が一番幸せ」と実感できるのが嬉しいです。

家族、パートナー、子どもは、自分にもっとも近い存在ですが、自分を知るために、もっとも多くのギフトを与えてくれる存在なのだな、と心から感謝の気持ちでいっぱいです。
自分が親や妻を経験することで、自分の両親や妹の存在の本当の意味にも気づき、感謝の気持ちでいっぱいです。
家族と言えども、ちょうどよい距離感をそれぞれが大切にするのがよいと私は思っています。

当時、参考になった本

思考と感情の扱い方を知れたのは、本との出会いのお陰でした。


『「今この瞬間」への旅』 レナード・ジェイコブソン著
『あなたのストーリーを棄てなさい。あなたの人生が始まる。』 ジム・ドリーヴァ―著

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