♯16 TOWER タワー |一度壊されることでその価値に気づく 

人生で経験する災難は運が悪いのか?

たいがい、自分に起こる衝撃的なできごとは、強制的な見えざる力が加わって起こる現象である、との印象を私は持っています。

トートタロットで言えば、タワーのカード。

人間(エゴ)が「恐れ」の扱い方を知らなくて、自分を保身したがり、それを避けようとするから、こじらせ、膨らんでいく。
結果、自分にとって衝撃的なできごととして起こることで、それは強制的に止まる。

災難みたいなことは、見えざる力が介入したのだと思えてならないのです。
そしてそこに、すごく愛を感じるのです。

なぜって、その衝撃により、ようやく立ち止まる機会が与えられるから。
そのときに、自分にベクトルを向けられるかどうかで、得られるものに雲泥の差が出ます。

「我に返る」とか「今まで思いもしなかったことを思い知らされ、考えさせられる」とか。
いわゆる、絶望やどん底からの人生の転機です。

その衝撃によって、「今まで知らなかった何か」を必ず知ることができる。
だから自分は「助けられた」ってことなんです。
災難が起きたのだとしても(そう見えたとしても)、それは、無知の状態から知ることができた状態へ引き上げられたのだから。

私は、そう考察してます。

そのような視点を手に入れられたことで、私は楽になった。
視点が変わり、人生の質も目的も変わり、軽やかになった。

「再生の前には、必ず破壊がある」ことが腑に落ちたからです。

体験することが目的

私たちは、必要な体験をするようにできているなと思う。
だから、それをしっかりと体験さえすれば、それは終わっていく。
そして、まだ知らない次の体験をするのです。

でも実際には、自分にとってよいことは体験できることを喜べるけど、そうではないことは、悲しむ。悔しがる。
最後は怒り、恨む、妬む。
そういうパターンになっていないだろうか。

体験したくないことが繰り返される理由

自分にとってよくないことは、「できれば体験したくない」と思い、避けようとする。

それだと体験ができていないままになります。
だから、体験するまで繰り返される。
人や状況を変えて、人生の中で何度でも。

私の人生を振り返り、俯瞰した視点で眺めてみると、怖がっていることこそ、それを体験するようなできごとが起きた。
その当時は、まったく気づいていなかったけれど。

私たちの考え方のパターン(集合意識)

怖いからこそ、怖くなくなるものを手に入れたい。
安全を確保したい。
防ぎたい。
排除したい。

人間は、そうゆう考え方をしがちです。
自分としては「より良く生きるため」だと信じているけど、裏返したら、全部、怖さへの対策であり、自分の保身のため。
怖さに支配されている。

つまり、怖がっている「それ」を自分より脅威だと思っちゃっている。
怖いことが起こる前提で生きちゃってる。

そのことによって、ずっと問題を抱えている。
ダメな自分をなかなか変えられなくて「自分は成長できていない」と嘆いたり、いつもどこか満たされないまま人生を生きていることにダメ出しし続けている。

必要な体験をただ体験する

人生は、必要な体験をするようにできているのだから、それをただ体験すればいい。
災難のようなことが起きたときでも、このカードを思い出すと自分が今何をすべきかがわかります。
落ち着いていられる。

それは見えない力への降参と受容。
いい意味での諦め、開き直りでもあるかもしれません。

ちなみに、自分の思考が邪魔をしなくなると、「ただ体験すればいい」ができるようになっていきます。