人生まるごとうまくいく、なんて可能なのか?
私の場合は、「自分との対話を深めれば、人生まるごとうまくいく!」とお伝えしたい。
自分としっかり対話して、自分の声を頼りに生きていくのです。
私もはじめは、自分の感じていることだけを信頼して生きていくなんて、危なっかしいと思っていました。
もっと素敵なあり方、もっとうまくいく方法を見つけて、それに近づいていくほうが、より良い人生を送れる私になる、と思っていたからです。
けれど、少しずつ少しずつ、自分の感じていることを採用して選択していったら、いい感じなのですよ。
と、この先に話を進める前に!!
そもそも、〇〇すれば、人生まるごとうまくいくなんて、可能なんでしょうか???
人生まるごとうまくいく!というのは、「良いことしか起こらなくなる」という意味ではありません。
相変わらず、最悪なこと・辛いことは起こります。
でも、それが起こったときに、その直後は「ドーン」「ドヨーン」となりますが、我に返れば「どうすればよいか」を思い出すので、心の重さ・軽さが違ってくる。
また、失敗や損に対しての概念も変わってくるので、失敗した!損した!という思いが出てこなかったり、軽かったりもあるでしょう。
私がおすすめする方法の場合は、自分との対話が深まることで自分自身が潜在意識から変化するので、起こったことの印象や受け取り方も変化します。
「そもそも良い・悪いというモノサシさえない」ということに気づける。
結果として、人生全体が「よい=価値がある」と感じられることを指しています。
現実的にもよくなる傾向はある
物事に対する自分の自然な捉え方自体が変わるため、そこから考えることも変わり、行動が変わります。
そのため、現実的にも悪いことが起こりにくくなる傾向はあります。
私も、「段階を踏んで人生全体が良くなっている」という実感があります。
自分が自分であることに、充実感が増していく感じです。
また、まだ叶っていないことに対しても、「やっぱりダメか」「だから私はダメなんだ」という思いが湧きにくく、自分を信頼していられます。
今では、生きづらさもどこ吹く風?といった状態です。
この記事では、私の体験で実証できた、自分の声を頼りに生きると人生全体がうまくいくことについて、お伝えしたいです。
良い人生とは
念のため確認しておくと、良い人生とは、自分にとって心地よい、喜びだ、幸せだ、と感じられるものだってことです。
だから、答えは自分にしかわかりっこないわけです。
見聞を広げるには、人の答えは参考になりますけれど。
で、いつも言っていることですが、自分の答えを見つけるには、感じるモードを使います。
自分との対話が大切な理由
私がずっとやってきたのは、気づきの自己対話です。
この対話の目的は、自分の人生を自分事として生きるためです。
自分の振る舞い一つひとつが、自分の人生を創っています。
人生とは、その人の思いや感じていることが、色濃く映し出されています。
自分が心地よい、喜びだ、幸せだ、と感じられるものを選ぶようにすると、人生が、喜びを感じられるもので埋め尽くされていくわけです。
そんなうまい話、あるわけないと思いますか?
私も以前は、上記のような発信されている方の文章を読んで、ずっとそう思っていました。
自分なりに、自分の声を聞いて生きていましたから。
それでも、人生がうまくいっている、自分がいい感じになれている、とは思えなかったわけで。
人生がうまく行ってると思えないときは、外に原因を探したり、「人生を良くするためのツールや誰か」を探しに行きたくなるものです。
私もそれ、ずっとやっていました。
SNSを見ていると、もっと素敵なあり方、もっとうまくいく方法を発信しているものがたくさんあります。
それを見て、「自分も行動しよう!」と決めるわけです。
でも見ていると、できてない自分を見せつけられるような苦しさと、「私くらいの努力では、こうはなれないんだろうな」という重たい思いがどこかにありました。
苦しさや重たさが、無意識に自分にブレーキをかけているので、行動できない、もしくは、行動しても結果に出ないということが起きていました。
今でも、私の数歩先を行く人の発信を見ると、自分との差を感じますが、以前のような苦しさや重さを感じることなく、「私もできることからやっていこう!」と思える。
この体験から、「順番が違ったのだな」とわかりました。
同じようなことを軽やかにはできない自分がいたのは、しっかりと自分との対話をして自分のことを深く理解することや、苦しさや重さの原因を解消することが単にできていなかっただけなのだと。
まずは、外へ向けているベクトルを完全に自分に向けて、自己対話をすることが先だったのです。
ここで私が強調したいことは、「ベクトルを完全に自分に向けること」と、「この順番が重要」というところです。
対話とおしゃべりは、別物
自分との対話と、自分とのおしゃべりは、ちょっと違います。
自分との自由なおしゃべりも、楽しいですけれどね。
妄想や空想とか、腹黒い自分とか!
自分との対話は、自分の感じていること、思いや考えなど、自分にとことんコミットした対話です。
私が遠回りした原因の1つが、この区別がついていなかったことです。
私が自分と対話していると思っていたのは、自分とのおしゃべりでした。
おしゃべりだと、問題や悩みの表層を分析したり熟考しているだけの状態です。
このやり方では問題や悩みの根っこへは掘り下げていけないため、一時的な対処で終わるか、時が解決してくれるまで引きずり続けます。
時が解決してくれると表面上は解決しますが、根本は解決してないので、別の問題に形を変えて再びムクムクと出てくるのです。
私は20年くらい、このやり方で自分や人生を変えようと努力していたので、そりゃぁ苦しいわけですよね。
キリがないですから。
気づきの自己対話でどう変わっていくの?
気づきの自己対話をしていくと、心がゆるみます。
わがままを聞くのとは違い、心を自由にする・自分に優しいまなざしを向ける作業です。
たとえば、本当は今の自分に必要ないのに、今までやっていたことを漫然と今も続けていて、しかも、そのことによって実は今の自分の心の自由を奪っている、なんてことに気づくことができれば、それを変える・やめる選択もできます。
これが、無意識の信じ込みや思い込みと言われるものです。
信じ込みや思い込みが、変わる・なくなることで、心の自由度が増すのです。
心が自由だと、あなたの行動に自由を与えてくれます。
つまり、人付き合いで疲れる、ストレス発散で散財する、人生を楽しめているのかわからない、本当にやりたいことがわからない、私は何でいつもこうなんだろう・・・、などの重たいものから解放されて行動できるってことです。
行動のパターンが変わっていきますから、得られるものも、向かっていく方向も、変わっていきます。
そして最終的には、理想と現実、本心と現実で葛藤するのではなく、人生の内容と自分の心が揃ってきます。
人間の成長や回復力、自己調整力ってすごいな、と感じます。
螺旋階段を上るように
心がゆるむことで、心の自由を取り戻すことができるわけですが、そのプロセスでは、絶望感に打ちひしがられることもあるかもしれません。
そんなときは、自分の人生なのに、何もかもわからなくなるし、何もかも捨てたくなるし、「誰か教えてくれー」「誰かなんとかしてくれー」となります。
私も、何度も経験しました。
変われたと思ったのに、また逆戻りするようなことが起こる理由は、私たちは自我(エゴ)の自分と共生しているからです。
自我とは、思考・感情・肉体のこと。
何らかのトラウマ化したもが、体で反応しているケースもあります。
でも、再び、自分との対話に健全さを取り戻すことができ、「私が今やること」がわかるようになります。
(トラウマの程度によってはセラピーやヒーリングの手助けが役立つこともあります)
それを繰り返しながら螺旋階段を上っていて、少しずつ心が自由を得ていきます。
自我と仲良くなりお互いの役割をしっかりと区別していけるようになると、かなり楽になることが多いようです。
行きつ戻りつのプロセスでも、ある程度の期間でみると、確実に自分にとってポジティブな変化になっています。
自己対話を知らないままだったら・・・
私が、自分との健全な対話を知らないままだったら、感情の渦や思考の嵐にのまれたり、逆に影響されないようにする日常を送りつづけていたと思います。
問題解決、幸せな人生探し、満足のいく自分探しをすることが人生なのだと、疑わなかったと思います。
自己対話を人生に取り入れたことで、問題解決や幸せな人生探しをする人生ではなく、自分の人生そのものを生きることができています。