人生まるごと良くするには
人生まるごと良くするなら「自分」との対話を大切にすることです。
自分としっかり対話して、自分の声を頼りに生きていくのです。
私もはじめは、自分の感じていることだけを信頼して生きていくなんて、危なっかしいと思っていました。
もっと素敵なあり方、もっとうまくいく方法を見つけて、それに近づいていくほうが、より良い人生を送れる私になる、と思っていたからです。
けれど、少しずつ少しずつ、自分の感じていることを採用して選択していったら、居心地いいのですよ。
段階を踏んで人生全体が良くなっていきました。
自分が自分であることに、充実感が増していくのです。
心地いいだけではなく、現実的にも望むようになっていくし、まだ叶っていないことに対しても、自分を信頼していられます。
今では、生きづらさもどこ吹く風?といった状態です。
この記事では、私の体験でも実証できた、自分の声を頼りに生きると人生全体がうまくいくことについて、お伝えしたいです。
良い人生とは
ところで、良い人生って、どんなものでしょう。
「良い」と感じられる人生だ、ってことですよね。
つまり、自分が心地よい、喜びだ、幸せだ、と感じられるものだってことです。
だとしたら、答えは自分にしかわかりません。
感じるモードを使って、見つけていくものです。
とゆうことは、外側にあるものはサンプルや参考でしかない、ってことでもありますね。
そう。
「よい人生」というものが存在するわけではなかったのです。
よい人生は、探し求めるものではなかったわけです。
自分との対話が大切な理由
私がずっとやってきたのは、気づきの自己対話です。
この対話の目的は、自分の人生を自分事として生きるためです。
自分の振る舞い一つひとつが、自分の人生を創っています。
人生とは、その人の思いや感じていることが、色濃く映し出されています。
自分が心地よい、喜びだ、幸せだ、と感じられるものを選ぶようにすると、人生が、喜びを感じられるもので埋め尽くされていくわけです。
そんなうまい話、あるわけないと思いますか?
私も以前は、今の私のようなことを発信されている方の文章を読んで、ずっとそう思っていました。
自分なりに、自分の声を聞いて生きていましたから。
それでも、人生がうまくいっている、自分がいい感じになれている、とは思えなかったわけで。
人生がなんだかうまく行ってると思えないときは、外に原因を探したり、「人生を良くするためのツールや誰か」を探しに行きたくなるものです。
私もそれ、ずっとやっていました。
でも、ベクトルの向きが違ったのです。
ベクトルを自分に向けた自己対話をすれば、自分の人生を良くするために必要なことがわかるのです。
このやり方、私はもっと早く知りたかったです。
対話とおしゃべりは、別物
自分との対話と、自分とのおしゃべりは、ちょっと違います。
自分との自由なおしゃべりも、楽しいですけれどね。
妄想や空想とか、腹黒い自分とか!
自分との対話は、自分の感じていること、思いや考えなど、自分にとことんコミットした対話です。
私が遠回りした原因の1つが、この区別がついていなかったことです。
私が自分と対話していると思っていたのは、自分とのおしゃべりでした。
おしゃべりだと、問題や悩みの表層を分析したり熟考しているだけの状態です。
このやり方では問題や悩みの根っこへは掘り下げていけないため、一時的な対処で終わるか、時が解決してくれるまで引きずり続けます。
時が解決してくれると表面上は解決しますが、根本は解決してないので、別の問題に形を変えて再びムクムクと出てくるのです。
私は20年くらい、このやり方で自分を変えようと努力しているつもりになっていたので、そりゃぁ苦しいわけですよね。
キリがないですから。
気づきの自己対話でどう変わっていくの?
気づきの自己対話をしていくと、心がゆるみます。
甘やかすのとは違い、心を自由にしていく作業です。
いわゆる「癒し」が起こる状態です。
たとえば、本当は今の自分に必要ないのに、今までやっていたことを漫然と今も続けていて、しかも、そのことによって実は今の自分の心の自由を奪っている、なんてことに気づくことができれば、それを変える・やめる選択もできます。
これが、無意識の信じ込みや思い込みと言われるものです。
信じ込みや思い込みが、変わる・なくなることで、心の自由度が増すのです。
心が自由だと、あなたの行動に自由を与えてくれます。
つまり、人付き合いで疲れる、ストレス発散で散財する、人生を楽しめているのかわからない、本当にやりたいことがわからない、私は何でいつもこうなんだろう・・・、などの重たいものから解放されて行動できるってことです。
行動のパターンが変わっていきますから、得られるものも、向かっていく方向も、変わっていきます。
そして最終的には、理想と現実、本心と現実で葛藤するのではなく、人生の内容と自分の心が揃ってきます。
螺旋階段を上るように
心がゆるむことで、心の自由を取り戻すことができるわけですが、そのプロセスでは、絶望感に打ちひしがられることもあるかもしれません。
そんなときは、自分の人生なのに、何もかもわからなくなるし、何もかも捨てたくなるし、「誰か教えてくれー」「誰かなんとかしてくれー」となります。
私も、何度も経験しました。
変われたと思ったのに、また逆戻りするようなことが起こる理由は、私たちは自我(エゴ)の自分と共生しているからです。
自我とは、思考・感情・肉体のこと。
でも、再び、自分との対話に健全さを取り戻すことができ、「私が今やること」がわかるようになります。
それを繰り返しながら、さらに心が自由を得ていき、気づかないうちに螺旋階段を上っていて、ふとした時ずいぶんと変わった自分に気づきます。
自我と共生しながら、徐々に変わっていくケースが多いようです。
行きつ戻りつのプロセスでも、ある程度の期間で振り返ると、確実に自分にとってポジティブな変化になっています。
自己対話を知らないままだったら・・・
私が、自分との健全な対話を知らないままだったら、感情の渦や思考の嵐にのまれたり、逆に影響されないようにする日常を送りつづけていたと思います。
問題解決、幸せな人生探し、満足のいく自分探しをすることが人生なのだと、疑わなかったと思います。
自己対話を人生に取り入れたことで、問題解決や幸せな人生探しをする人生ではなく、自分の人生そのものを生きることができています。
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